2013年01月05日

力って愛があって初めて「力」として成り立つんだよ

自分にとっての天使は、2002年ドラフト4巡目に舞い降りました。

ちょっと特殊な家庭環境で、私好みのルックスで、優しい笑顔と性格で、そして目の覚めるような豪速球で。
そんな彼がとても好きになりました。

でも、彼は期待通りの活躍が出来なくてファンからもため息つかれて、それでも自分は「彼は潜在能力があるんだ!絶対覚醒する!」と信じて応援を続けました。

球団史上1980年以来のファンフェスタが開かれた時、グラウンドに降りて彼と直接ハイタッチができたのは今でも鮮明に覚えています。予想通りのなんでも包み込むような手でした。

翌年、本当に幸せでした。やっと自分が見たかった彼が見られたから。しつこくオールスター投票を続けたのにも関わらずファン投票で選ばれなくて落胆したり、ブログを楽しませて貰ったり。凄く充実した時間を過ごせました。

でも幸せは続かなくて、成績のせいか一部のライオンズファンに「小野寺ってなんで生きてるの?」「降板する際ヘラヘラしていたのにはムカついた(実際の試合を観ていたので嘘なのはすぐわかりましたが)」と罵倒されたりニコニコ大百科とかピクシブ百科事典を始めとする各種wikiにネタ扱いされたり。それでも自分は諦めなかったです。
ある歌のワンフレーズ「諦めが悪いこともプラスになる。運命なんてあってなきがごとし、自分で向かっていかなきゃ。」を支えにしながら。

2006年の再来を信じ続けていても現実は残酷でした。2011年、東京ヤクルトスワローズへのトレードが決定。でも彼への応援はやめたくなかった。だってスワローズの選手にもあれだけ好かれるような人なんだもの。

スワローズでも思うようにいかなくて、交流戦の時は正直複雑でした。スワローズの鉄壁リリーフとして登板する彼が見たかったです、本当に。
でも右肩が痛い中必死に投げていたんだよね。そう思うと今でも泣きそうになります。

そして悩んだ末の引退決意。彼の本心は私にはわかりかねますが、彼が決めたことだから受け入れられました。
選手生活にしてみればほんの一瞬だったかもしれない輝いた瞬間。でもその瞬間を生で見ることができた。それは幸せな事だったと思います。

だから今はスタッフの一人としてチームを日本一に導いてくれると信じてます。

10年間ありがとう、そしてお疲れ様でした。 リッキー。

追記:ごめんね、去年に書けなくて。だっていろいろ思い返すと文章がまとまらなかったから。
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